研修生体験談

長期研修者

川西雄大

CAJ→グゥアラニ―→サウルコス福井

みなさんこんにちわ。
初めまして、川西雄大です。
僕がCOJBを通じてブラジルでみてきた事、肌で感じた事、経験してきた事を書かせて貰います。

ブラジルでの事を話す前に、何故僕が日本全国様々なチームがある中このCOJBの門を叩いたのか。
まずCOJBはブラジルと絶対的な繋がりがあるという事。
そうそうこんなチームは見当たらないとおもう。
それと代表の今野英一があのサッカー王国でプロフェッショナルとして活躍していた事で、その経験をベースにプロイズムを学べると思った事、ここ日本ではかなり独特な雰囲気をもったチームだったのでCOJBの門を叩きました。
19才のときでした。

入団当初、僕はある程度国内で経験を積んでからブラジルで勝負しようと考えていましたが、幸運にもその年にCOJBのブラジル遠征があり親やCOJBのサポートのおかげで、参加できました。
その遠征で、サンパウロFC、コリンチャンス、今野英一が所属していたサンジョゼECと、ビッグクラブと言われるチームと対戦したんです。プレーして一番は「衝撃」ですよね。
これが俺の目指しているプロフェッショナルなのか。
こいつら宇宙人だ。
僕サッカー辞めようかなと思いました。笑
それは冗談ですけど、本当にそれぐらいインパクトがあって一生忘れないと思うな。
サッカー選手なんですが、職人芸の様なんですよ。
ひとつひとつのプレーが完成されていて、「匠の技でしょ!」
ってつっこみたくなるくらい精度が高い。
まさにプロフェッショナルです。

その流れでぼくは一年の留学ビザを取得し、そのままCOJBと提携していたサンパウロ州セリエBのクルービ・アトレチコ・ジョゼエンセUー20に入団しました。
目標は労働ビザの取得。
クラブと契約を交わしプロ公式戦に出場すること。
僕はそれから、約半年間ジョゼエンセで試合に出続けました。
2008年一月、労働ビザ取得のため一時帰国、念願であったプロとしてブラジルへ渡る事ができました。

渡伯の時はもぉワクワクドキドキ。
ワクワク一割、ドキドキ九割。
いやーもう緊張しちゃって、機内では寝れなかったですよ。
当時を振り返ると自分で自分のことを追い詰めていたかなって思います。色々なプレッシャーをかけてね。
それなりに腹くくってましたから。
帰国するまでサンパウロ州、ミナスジェライス州、サンタカタリーナ州、セリエA、Bの様々なチームを回りました。
アジア諸国へブラジル人を補強選手としてプロモーションする代理人のチームでもプレーしましたね。
補強選手という事は現地人の4、5倍の力がないと補強選手としては売り物にならないじゃないですか、そのチームでは明らかに僕が1番レベルが低かったな。
一発一発の練習をもっている力を120パーセント出さないとついていけないんですよ。
1ヶ月半そのチームでもみくしゃにされたんですが、そこから自分のプレーに変化を感じ取れました。

キーワードは落ち着きです。
やはりレベルの高い選手はプレーはもちろん、威圧的なオーラの中にも雰囲気がどしっとしていて、落ち着いている印象を受けます。
彼らから多くのことを学びました。
まず良いところを盗む、そして、真似る、なりきるともっといいんじゃないかなと思いますがなりきるまでにはいけなかったです。笑
どこのチームへ行っても監督、チームメイトはジャポネース(日本人)に対してのイメージは頭が良くてお金持ちでサッカーが下手。
彼らはそう思っています。初めはね。
そういうイメージを壊す為に本当にひとつひとつの練習に集中しました。

そんな中自分に対しマイナスからの評価から這い上がり、プロデビュー出来た事は僕自身ほんとうに自信になっています。
試合前日のメンバー表にyudaiと書かれていて、その場で喜べばいいもののトイレへ駆け込みガッツポーズ。
やっぱり嬉しかったですよ。
僕はその試合で後半から出場したのですが、動きもよくチームから高い評価を頂きました。
試合前のウォーミングアップ凄く興奮していて、かなりカッコつけましたよ。
見られているんだから、そこはね。笑
緊張はなかったです、負けていたので、この流れを変えてやるから監督!おれ使え!
と目で訴えてましたから。

ブラジル修行中、公式戦、練習試合をかなりこなしたんですが、やはりビッグクラブと言われるチームと試合をするのは、いい経験になりました。
やはり上のレベルになればなるほど、小さなミス、大きなミス、致命的なミスを犯してしまったチームが負けるんですね。逆に対戦相手は敵のミスを見逃さない。ひとつのミスが敗北に繋がるんです。サッカーに完璧はないと僕は思いますが、ビッグクラブでプレーする選手は本当にミスが少ない、もし味方がミスをしたものなら、罵声を浴びせられる。凄いんですチーム内での緊張感の保ち方が。
ブラガンチーノというクラブの若手選手がこういってましたよ。どんなにいい物を持っていても、まずこのチーム内のプレッソン(プレッシャー)に耐える事ができないと絶対にビッグクラブではやっていけない。
ポルトガル語なので多少ニュアンスは違うと思いますが、その言葉を聞いて腹にズドーンときましたね。ブラーガはブラジル全国選手権セリエBに所属しているビッグクラブと呼ばれ、今から20年前ですが今野英一がさらにその上セリエAでプレーしているという事実。
さらって書いてますけど僕がブラジルで見て経験して言える事なのですが、本当にそういう星の下、スターレベルの凄さなんですよ。
多分みなさん分からないと思います。僕の勝手なイメージなんですが、全国選手権セリエAなんて宇宙人の集まりかと。笑
日本とは違いブラジルでは一人じゃないですか、向こうには周りに相談できる人が近くにいないし国際電話なんて、高いからそんな何回もかけれない。自分と向き合う時間が自然と多くなる。
壁が目の前に立ちはだかる時、辛い時、自分と話をして奮い立たせ夢がある限り必ず道は開けて来ると己を信じて未来を信じてやってきました。
もちろん今も未来に目を輝かせながら走っています。

ブラジルでは本当に多くのことを学ばせてもらいました。けど僕が思うにブラジルの空気を吸うからってサッカーが上手くなるとか、プロになれるとかじゃないと思います。
何が言いたいかと言うと、何処へ行こうがどんな環境にいようが自分自身は変わらない。全ては自分次第でどうにでもなるという事です。
環境に甘えず自分に甘えず、僕は必ず成功するから走ってます。

最後になりますが、今回この文章を書かしてもらい少しでもみなさんに何か感じてもらえれば大変嬉しく思います。長文でしたが、ここまで目を通して頂きありがとうございます。
この場を頂いた今野さんにも感謝しています。

これからのCOJBと僕の活躍に期待してて下さい。

短期研修者

芝藤昭夫

「ブラジル研修一カ月」 僕は2009年の夏に一カ月という短い期間でしたが、大学4年の夏休みを利用してブラジル研修に出ました。ブラジルまでの経緯、トレーニング、そして感じたことをここに書きたいと思います。

僕がプロフェッショナルを目指したのは、2009年春。それまでぼんやり生活していたわけではなく紆余曲折があったのですが、そこは書くと長くなるので省略。正直遅いのは誰もが感じることで自分でも分かっていました。
しかし、「今まで誰も成し遂げることができなかったことに挑戦したい」を信念に挑戦を決めました。
セレクションは毎年冬の時期に行われる。それま でに最高のコンディション、パフォーマンスを発揮するために何が必要か。その中でチームを探し、プロを目指す集団であり、ブラジルと繋がりがあるCOJBに入ることにしました。
何事でも当てはまると思いますが、視野を広げることは大事です。人は知らず知らずのうちに小さい枠に収まってしまう。その枠を広げるのは常に意識していないといけないのではないでしょうか。
毎日午前中はチームでのトレーニング、午後は大学での講義、そして夜はジムでのトレーニングで就 寝は23時の毎日でコンディションを上げていきました。

そして夏、ブラジル研修です。僕の中でブラジルは世界有数のサッカー大国です。その全て、空気まで含めて吸収して自分の視野を広げるため。 サンパウロは時差がマイナス12時間で季節も反対、全てが日本とは違います。
起こることすべてに衝撃を受けました。生活でも様々衝撃を受けましたが、やはりプレーの迫力は今でも鮮明に覚えています。ブラジルはお国柄、時間に対してのんびりとしているのですが、練習が始まるとスイッチがしっかり切り替わ ります。遊びのようなボール回しの時にでも必死にタックルしてきます。
ましてや、1対1などの対人の時には絶対に負けないという気迫がスタジアム内に充満しています。少し気の抜いたプレーなどしていたら確実に怪我を負わされていたことでしょう。

残念なことにブラジル人は日本人のことをあまり良く思っていません。日本人はお金を持っていてサッカーが下手というイメージだからです。言葉の壁もあり、すぐにはイメージを払拭することはできませんでした。
しかし、毎日の練習をひとつひとつ集中して、必死にトレーニングを積んでいると評価は変わりまし た。最初は練習着ひとつまともなのを貸してくれなかったところから始まり、言葉の壁もあり別メニュー。ようやく紅白戦に出してもらえて約10分。最後は紅白戦に最初から最後まで使ってもらえるまでに至りました。公式戦にはビザがないのでもちろん出場はできませんが。笑

ブラジルでは、午前午後の練習後、夜に時間のゆとりがあります。同じ部屋にはブラジル人が賑やかに話していますが、まったく理解できないので一人。一人の時間が多く持てます。絶対に回りに認めさせてやろうと思いながら部屋にいました。

まぁ一カ月で全ての人に認められたかと言えば無理でしょう。ポルトガル語を理解できるようになるのも無理でしょうが、ブラジルでは様々なことを勉強させてもらいました。この経験は一生忘れないでしょう。
しかし、ブラジルで経験したことがゴールではありません。ましてや、ブラジルでぼんやり過ごして経験したつもりになってはまったく意味がありません。ブラジルにいても日本にいても常に現状を打破して向上していかなければならない。

最後になりますが、僕のブラジル研修一カ月は日本、ブラジルのCOJBスタッフのおかげで最高の研修になり、視野を広げることができました。
このような経験をより多くの人に感じてもらえると幸いです。

指導者研修者

宝槻慶仁

私がブラジルでの指導者研修で得たもの・学んだものを、簡単ではありますがまとめさせて頂きたいと思います。

私がブラジル研修に行く以前に、こう学びたいと研修で期待していたものは、世界最高峰ヨーロッパリーグで多数活躍しているブラジル人選手達は、どのような環境で育成され輩出されて来たのか?日本との「育成」の違いは何なのか?
…練習?設備?という、表面的に観て学べるところに重きを置いていました。
私も、現役時代は高校でインターハイ・全国高校選手権出場、大学では関東1部リーグのチームに在籍して、Jのトップやサテライトなどと試合する機会があったりと、日本のアマチュアでのかなり高いレベルで選手生活を送っていたと自負しています。
そういった自分自身の経験も照らし合わせながら、「育成」の違いを学びたいと考えていました。

研修内容としてはプロクラブに帯同・合宿形式の指導者講習会受講がメインでした。
フタをあけてみたら、もちろんサンパウロFCやパウメイラス、インテルナシオナウなどの練習設備・クラブ体制は、日本の育成年代では考えられないほどの規模でした。
しかし、パウメイラスの練習に帯同したのですが、驚いたことに練習している内容自体は、考られていて良い練習だったのですが、目新しいものではなく、やった事がある、見た事があるものばかりでした。

それでは一体何が違うと学べたのか?

もちろん、指導者講習会やチーム研修での、細かい指導法や科学的・理論的な講義は大変勉強になりました。
しかし、私がブラジル研修で一番学んだというものは、サッカーとは選手や指導者にとって何なのか?どういう位置づけであるべきか?ということを、その身を通して感じられたことにあります。
それは、教科書や講義だけでは学べるものではなく、ブラジルというサッカー王国で生活し、会話し、観て、聞いて初めて実感できるものだと思います。
指導法や戦術などは、はっきり言ってどこでも学べるものです。それこそ日本でも。
しかし、私は現地で研修できたことで、指導のノウハウというよりも、指導者としてどう気持ちを持つべきか、サッカーに懸ける気持ちはこうでなければならないという、一番根本的ですが日本人が持てていない図太い芯を、サッカー王国に教えられたと思います。
サッカーをどれほど、自身の全てだと真剣に考えられるか。簡単には言えますが、一番難しいところだと思います。

COJBの研修スタイルは、決定されたプログラムはなく、現地でこうしたいと感じたことを、直接今野代表と話し合い作りあげていけるスタイル。
私も様々なわがままを聞いて頂いたので、ここまで自分の中に残る、身の詰まった研修ができたものだと感じています。ブラジル研修は、たくさんのものを学ぶというよりも、サッカーが根強く生活に関わっている国を、その身を通し感じられることが、大きな財産になるものだと思います。

私自身、全てはこれから。ブラジルで学んだ大事な芯に、これからも勉強・研究・経験を肉付けしていき、充実した指導を目指していきたいと考えております。

※宝槻コーチは研修後、COJB指導スタッフとして採用となりました。