【育成日記】どんな状況でも最後まで諦めないことこそ光が見える

諦めた者には光はささない。僕はこう思う。結果がどうあれ最後まで闘い続けること。決して諦めない。現状おかれている悪い状況に対して、立ち向かわず、ファイトすることを止めること。逆を言えば、これを諦めると言う。皮肉にもこれはサッカーという狭いくくりだけに止まらず、人生そのものに置き換えることも出来る。諦めた試合、諦めた選手、諦めた人間に拍手を贈る人はいないが敗戦しても、その時、何かを失敗しても最後の最後まで諦めずにやり続ける人間、ボールを追い続ける人間、自分の守備範囲を超えカバーしあう姿に人は心を打たれるものだ。ハートがしびれる、感動を生む時がある。このような試合はプロだから出来、それ以外は出来ないのか?それはない。むしろプロでも眠い試合はいくらでもある。お金が発生しているにも関わらずだ。プロは常に人を感動させられているか?と言えばそれはイコールにならない。育成年代でも、いや、育成年代だからこそ十分感動させ、しびれさせる試合が出来る。なぜ高校サッカー選手権や甲子園にサポーターが夢中になるのか?の意味の一つに、ひたむきに最後まで諦めない姿に感動していることもあるだろう。

途中で放棄した時点で先に見える筈だったものは見れない。身体の大きな選手が小柄な選手に挑みに行って玉際で勝利して
も感動は生まないが逆ならそれだけでもどうだろう?

足を止めた時点、ファイティングポーズを取らなくなった時点で終わりだ。本来、先に見えるものは見えない。先に見えるものが一体なんであるのか?に気づけるハズがない。この先に見えるものが、将来糧になることも知らずに諦めてしまうのだから。諦めるということはそう言うことだ。
攻撃を恐れ、失敗を恐れ、負けることを恐れる。サッカーの試合で失敗することがそんなに怖いか?失敗を恐れ、一歩前に踏み出せない自分は、何も中学生時代だけに限ったことじゃない、踏み出せない人間はいつまでも踏み出せないんだ。

中学生は失敗していい年代だ。失敗に失敗を重ねてもがき、苦しみ、考え、行動し、自ら光を見つけるものだ。それがどれだけ未来で役に立つことか。良くも悪くも勝負の世界、結果が出る。負けたことを人の責任にして、自らを省みない。もし、そのことが、中学生でサッカーを通じて気づくことが出来たなら、勝利し続けて一瞬嬉しがっている事よりも価値が大きいこともある。人数が少ないこと、勝てないこと、上手く行かないこと、目先を考えれば辛い、苦しいことかも知れないが、そんな時期だからこそ、真剣に考え、どうしたら上手く行くようになるのか?を考えることも先に繋がることではないだろうか?

どんな状況であろうと
どんな相手であろうと
最後まで闘うこと
これが全員に浸透させること

これこそが未来に繋がることだ。

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