コロナがようやく落ち着いて来たため、ブラジルとの交流を再開することにしました。
その一人目として、唐澤琉成(18) 東京都出身 東京実業高校→COJB、仁坂静臣(19) 和歌山県出身を送り出しました。
唐澤琉成は、高校2年生の夏にコロナ渦でありながら、1か月間、兼ねてから待ち焦がれていたブラジルへ短期体験に行きました。本人の願望は、高校を中退してまで早くブラジルでプロに成りたいという気持ち。最初の面会でそうコメントしていましたがご両親が「せめて高校を卒業してから、あとはフリーで良い。何なら一度短期で体験してきたらどうだろう?」という説得で、中退は諦め、1ヶ月ブラジルに向かう。
念願のブラジルでサッカーをし、今まで以上にブラジルが好きになり、ただ早く高校を卒業して、ブラジルに行きたい気持ちだけで高校の残りの期間過ごしていたことが琉成を見ていて窺える。
その願いが5/31日にようやく叶った。
COJBでは、一度ブラジルで現地でサッカーを関係者に見せて、力量があれば、労働ビザを取得してブラジルに渡ることを許可しています。琉成はこの度、3年間の労働ビザを取得できたので、本人のサッカー次第では、3年間一度も帰国することなく、ブラジルに滞在でき、ブラジルサッカー連盟の管轄の公式戦にもエントリーが出来ます。ちなみに、観光ビザ(現在は訪問ビザと呼ぶ)は、最大180日のみの滞在で、勿論、連盟の公式戦に参加する資格はありません。訪問ビザで渡航する場合は、連盟の管轄でない組織が運営する公式戦であれば、外国籍プレイヤーでも参加が可能。
琉成は、サンパウロ州マウア市に本拠を置くクラブ、マウアエンセ(サンパウロ州4部)で挑戦をスタートさせます。毎年1月に開催されているU20の最高峰の全国大会、コッパ・サンパウロにも参戦しているクラブであり、ここでチャンスを狙います。
日本人選手がいきなり、強豪過ぎるクラブに入っても、試合に出るチャンスがなく練習だけしていても、誰も見てくれません。誰も見てくれないとなれば、選手としての評価、価値は上がらないので、ブラジルでプロとして活躍したい日本人選手であれば、まずは身の丈にあったクラブで試合に起用されて活躍することです。プロとして活躍した、吉野裕太郎もこのような道を辿り経験を積みました。
琉成は、これから午前中、プロ下部組織のグレミオ・マウアエンセU20でプレーし、午後は、連盟に所属していない、街育成クラブU20 FCマウタでもプレーします。このクラブは、COJBブラジルスタッフでもある、モイゼース氏も指導に関わっていて、このクラブで育成し、ポルトガルやクロアチア、国内のプロクラブに売り込みを掛けられるために育成するチームです。連盟の公式戦には参戦していません。プロ下部クラブは、午前・午後どちらかの練習が多く、午前に練習を終えてしまうと、午後はフリーになってしまい、大概は自主トレになってしまいがちです。日本からのチャレンジャーには、そう時間はありません。一日も無駄にせずに、練習を積み重ね、実力をつける必要性があります。
なるべく短期間で成果を出して貰うには、良いプログラムと環境です。