あるボクシングの新人王を獲得した弟子が、
元世界チャンピオンの師匠にスパーリングをして50歳にも近い師匠をあっという間に倒すと豪語して臨んだ試合で最後までダウンを奪えず終わるという動画を観た。
かたや半分以上も年齢が若い弟子。勿論、日々トレーニングを積んでいることだろう。
かたや、既に引退して何十年にもなり、ましてやトレーニングもしていない師匠。
しかし、時折、師匠の鋭く重いボディーブローを浴びていた。逆に弟子のパンチは師匠に炸裂するレベルには到らず、師匠の気迫にたじろいていたようにも見えた。
師匠が最後のコメントで、
「自分ではやっているつもりが、はたから見たらやってない。練習も集中してないし、全然ダメですよ」と弟子に厳しいコメントをしていた。
この動画を家のメンバーに観て貰っていた。
子供だけでなく、大人の世界でも、
「俺はこんなにやっているのに、認めてくれない!なんでだよ!」と、半ば腐ってしまう人は結構いる。
そう、人は誰でも人からの評価を気にしているし、認められたいと思っている。
しかし、自分の評価を自分でして、それに浸っているようでは、それ以上の成長はない。
人から認めて貰いたいのならば、自分が思っている以上に黙って、今まで以上に必死で取り組むことだ。
ボクシングの有望株も、引退した人間を倒すことが出来なかった。慢心、傲慢、やっているつもりがやってなかった。
ボクシングは倒すか倒されるかで決着がつき、己がどうなのか?の白黒ははっきりするが、
サッカーは時にそれが個々に見えない時がある。
ボヤけてしまうことがある。
「チームとしては負けたが俺はやっていた、あいつが悪い」と責任転嫁をしてしまう場合かある。
これは怖いことだ。
本当はもっとやれることがあったのでは?
将来ある若者がこのようなスピリットの習慣が身に付いたら、大人になっても、そのままになってしまうだろう。
自分ではやっているつもりが、人からみれば全然やっていない。そんな自分に気づかせてくれる環境があるとしたら、君は幸せ者だよ。