サッカーが先か?精神面が先か? 卵か鶏か?のような話になってしまうけれど、
サッカーの成熟さは精神面の向上と比例する。
つまり、精神面が成熟すると、1つのものに対する考え方も、より大人になって行くので、
技術1つ取っても、取り組み方が変わるというもの。
逆に考えが幼いと、ボールを蹴ることだけの繰り返し、つまり考えて練習に取り組めないため、毎日の練習で身体にはしみ込み、ちょっとずつは向上するものの、向上の幅が確実に遅れる。
これは、小学生の低学年の感覚に似ていると思う。低学年の子供は考えて練習は繰り返せない。感覚で吸収する。しかし、高学年、中学生にもなれば、感覚だけでは向上は難しい。
プロ選手になっても精神的な幼さで、選手生命を自ら縮めてしまうという実例は、何度も聞いて来たけれど、このような選手達は才能、つまり感覚だけでプロになって来た、ごく稀な人間であり、よほどの天分や、幼少の家庭環境でのハングリーさなどで克服してきているケースになると思う。
日本の子供達は、ハングリーさからすると、海外の育成選手と比較すると、
難しいのであまり比較対象にはならない。
なので、日本の育成選手の場合は、別の部分で、精神的向上を養う環境を、人工的に作りだしていかなくては、本当の底辺、町クラブ単位、裾のレベルから、子供達に意識させていかなければ、どんなに技術向上の場、例えばトレセンなどに派遣しても、日の丸を背負えるレベルの選手をより多く輩出させることは難しいと思っている。
日本サッカーの生みの親と言われた、ドイツ人、クラーマー氏が
「サッカーは子供を大人にし、大人を紳士にさせる」という言葉を残しているけれど、
この言葉の意味は深いと思う。
また、この事は、特にサッカー選手を育成するだけに留まるものではなく、
子供達がやがて、社会に出る時も役に立つものであり、これは、サッカーだけでなく、
あらゆる分野で学ぶことは出来る。
子供の教育は、残念ながら家庭だけでは成し得ない。
外部の力も必要になる。
親になって見れば判るが、自分の子供が、外でどのような振る舞いをしているか?なんて、
全てを把握できている親などは存在しないだろう。
例えば、今回の合宿で部屋を視て周ると、部屋に靴箱がある環境でも、
無造作に脱ぎ捨てられた靴があった。
これを「子供だから仕方ない」するのか、しっかりと整えさせるのか?
試合会場で荷物を綺麗に並べるのか、それともバラバラ、ぐちゃぐちゃでも、
「サッカーが向上すれば、考えも向上する」とするのか。
炎天下の中、試合に臨む前にベンチに置く自分の持ち物が、やはり無造作に置かれ、そのまま試合に臨ませるのか?
自分が飲んだ給水タンクに付いているコップを蓋と一緒にしまわないで、そのまま
試合に行くことを何も言わないでそのままにすれば、やはり、次回も同じことを繰り返していた。何度言っても、そこに意識がないから、そうなっていく。
靴も、揃えて、しかも、また履く時に直ぐに履けるようにして、中に入る。
また、共同のトイレのスリッパも次に入る人が履きやすいようなスリッパの向きでトイレを出るという気配りが、意外にも、サッカーの場面でも出ると思う。
意外にも日本のサッカーの育成段階の指導は、サッカーと生活面がちょっと切り離されがちだと昔から思ってきた。別物だと思っている指導者がいるとするならば、それは本当に怖い事なんだ。
今は禁煙の世の中になっているから、喫煙者は喫煙所でたばこを吸っているけれど、
グランド内で、選手がいるところで、たばこを吸いながら歩いている指導者を見かけた時は、正直、驚いた。また、子供達の合宿の引率者である、指導者が、クラブの指導者同士で
飲酒しながら宴会していることもよく耳にする。
指導者の姿勢がこのようなものであれば、当然、子供達の意識も中々精神的な向上にはつながらないだろう。
これは、チームの強弱は関係ない。強いチームはそのことが徹底されているから強い。というのは、特にジュニアユースレベルに限ってはない。
何故ならば、強いと言っても、元々巧い選手をセレクションで獲得しているため、選手を選べるのだから、強くて当たり前。ただ、その強さも、同地域だけで、
県外出れば、強いチームに普通に負けているのだ。地域では王様だから、指導者が腕を組んで黙って視ていても試合は勝てる。
なので、このようなクラブの選手達はもっと、精神的成長を養えば、プロクラブへの供給源
になると思うし、将来、日の丸を背負えるようなレベルに輩出できるとも思う。
メンバーにとっては、母親の日々の小言のように、耳障りだとは思うが、敢えて
そのような教育をサッカーで養える機会があるのに、それを黙って見過ごすことになってしまうのは、あまりにも勿体ないと思うのだ。
海外の育成クラスの選手は、宿舎の食堂で一緒になっても、静かに落ち着いて食事している。
大人の雰囲気を醸し出している。
日本の子供達は、楽しいのは解るけれど、はしゃぎすぎるところがある。
しっかりと場所、時間をわきまえて行動している海外の選手達と日本の選手達の
精神的な違いは一目瞭然である。
幼稚な要素を少しずつ取り除き、今、何をすべきなのか?を
考えながら行動するように仕向けて行くことも、大切なことだと思う。
全ては、サッカー選手になることだけではない。
社会に出た時にどう振舞えるか?ということへの基礎ベース作りの段階なのが、
ジュニアユースだと思う。