【ブログ/もっと熱くならないか!!】ブラジルのサッカー選手の生まれ方

ブラジルでは、どうやってサッカー選手が生まれてくるのか?

今回はその根本を、何もないところから、サッカー選手になり、成功した元選手の現地のトーク番組から抜粋したものを紹介します。

元ブラジル代表 ゼ・ホベルト氏

その選手は、43才で、名門パウメイラス、グレミオで選手生活の幕を閉じたゼ・ホベルト(ロベルト)です。

日本ではあまり馴染みはない選手ですが、
サッカー通で、一昔前のブラジルサッカーが好きな人ならば、誰でも知っている選手です。

興味深いのは、彼は決してエリートでないことです。エリートならば、このブログで掲載する意味はなくなります。あまり面白くない。

彼のトークを聞いていて、プロセスが興味深いものがありました。

ブラジルでサッカー選手になるまでの経緯を耳にするキーワードは、

貧しい家庭で育つ、兄弟が多い、子供の頃から街に働きに出る、セレクションを受けて何度も不合格になる、才能に眼をつける発見者(スカウト)の存在、等々。後々に日の当たる場所を勝ち取るサクセスストーリーがあるのですが、

このゼ・ホベルト氏も例外ではないでしょう。

彼自身は、もちろんサッカー選手を夢見ていた子供の1人でしたが、
家庭事情で、サッカーばかりに集中出来ない環境にいたことはトークを聞いていて、間違いないと思います。

両親が健在でしたが、父親は彼の夢よりも、中学生になったら、就職することを強く勧め、
母親が夢の後押しをしてくれたそうです。

もし、母親が、プロ下部組織、古豪ポルトゲーザのセレクション(以下ぺネイラと呼ぶ、ぺネイラとは「篩に掛ける」という意味)に新聞広告を見て応募してくれなかったら、夢は現実にならなかったと語っています。

ぺネイラを受講するために、何百人もの中学生年代の子供達が、会場が開くのを長い列を作り待っていました。希望ポジション別に並んでいたと言います。当時の人気ポジションは、FWとMFで、ホベルト少年は、一番列の小さい、
GKとSBに眼が行き、GKは、自分が小さいので、無理だと思い、左SBを希望したようです。

このセレクション、つまりぺネイラで、子供達に与えられるPR時間は、僅か10分。

ブラジルのぺネイラは無料ですが、それにしても、何百人の中、僅か10分で自分のストロングポイントをアピールしなくてはならないのは、余りにも厳しい。

皆、アピールしに参加している訳です。
ボールは1つしかありません。

指を咥えて、ボールを待っていても、「俺が俺が」と、ボールを渡さない連中ばかりの中で、
自分をアピールするには、考えなくてはなりません。

ホベルト少年は、ぺネイラを終え、
結果発表になり待っていると、彼は呼ばれず、彼の真横の子が次のステップに呼ばれたようです。

母親とグランドを後にし、しょんぼりして歩いていると、急に母親がその場からいなくなり、
ぺネイラの担当者になにやら、話をしていました。

「家の子は午前中で仕事を切り上げ、何も食べずに地下鉄、バスを2つも乗り換えて、長蛇の列でも待たされやっと辿り着いて、僅か10分で、何が判るのですか?」と、半ば抗議したところ、言った者勝ちで、再度、ぺネイラに参加するように言われたようです。

ホベルト少年は、既に、名門コリンチャンスのぺネイラは不合格になっていました。

再度、ポルトゲーザのぺネイラに参加した彼は、SBでプレーしたところ、担当者の眼に留まり、見事ぺネイラに合格したのです。
その後、U15、17で活躍した彼は、同クラブ、
ポルトゲーザにて、19才でプロ契約しました。

順調にポルトゲーザで活躍し、レアルマドリード、ブンデスリーガのバイエルンミュンヘンなどビッククラブでも活躍し、ブラジル代表としても活躍しています。

アメリカンドリームならず、ブラジリアンドリーム。

彼は、既にオフィスボーイとして就職していたようで、その待遇にも満足していたようです。

給料とは別に、交通費、食事券まで支給してくれていたので、幸福だったようですが、
サッカーの夢は捨てきれなかった。

毎日同じ洋服を着なくてはならなかった時代から、違う服を買えるようになった。

ただ、ポルトゲーザに合格したため、仕事先には謝り、退職し、そこからサッカー一筋になったようです。

オフィスボーイの他にも、ゴミ袋を売り歩く仕事や、ブラジリアンBBQレストランでは、
肉を串に刺す仕事を任されたが単調な作業のため、好きになれなかった。しかし、生活のためには、好き嫌いなんて言ってられなかった。

流石に、この年頃で、ゴミ袋を地元で売って歩くのは同級生にあったら恥ずかしいと思い、
隣町に移動し、販売していたよう。
販売実績は好調で、評価も待遇も上がったようだが、面白味はなかったという。

人は与えられたもので、生活しなくてはならない立場になると、サッカーだけでなく、
普通に働いていても、違いを見せることが出来るのであろう。ホベルト少年も、その1人だったのだろう。

何をやっても、しっかり責任を果たす。
成果を出す。

これは、日本の育成年代の人達にも、
重なることがあると思う。

ホベルト少年は、勉強はあまり好きではなかったが、勉強はしなくてはならないと思っていた。母親にも、勉強をしなければ、就職先も無くなると言われていたため、勉強もしたとのこと。

【ぺネイラ=篩】

どこにどのような才能がいるか判らないため、
ブラジルでは、年間に何度もこのようなぺネイラを実施する。将来、宝石になるかも知れない原石を埋もれさせないためだ。

COJBからブラジルに渡った蒔田も、
コリンチャンスのぺネイラU17を受講し、
合格している。
日本では、Jリーグ下部などは、無縁も無縁で、
U15まで街クラブで育つ。

所変われば見る人、見方も変わる。

と言った所でしょうか。

ゼ・ホベルト少年が雑草から這い上がるプロセスが興味深いと思い、ブログで掲載しました。

きっかけを作ってくれたのが、母親。
それに応えたホベルト少年。

43才まで、トップクラスでプレーしていた、
精神的な支えは一体どこから来るのかも、
興味深い。そんな選手の1人でした。

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