中学生年代になると、より人間関係が難しくなってくるので、人として勉強する機会がかなり増える。
その時に気づいても、気づかなくても、それに対して反発しても、いつかどこかで理解できる時もある。それは高校年代、社会人になってからでも良いと思う。
「そういえば、中学生時代のサッカーのコーチにうるさい人がいたけれど、今思えば・・・」なんてね。学校の先生にも沢山いて、それは今も昔も同じだと思う。ちょっと今はやり難い世の中になっているとは思うけれど。
サッカーという仲間と協力してゴールを目指す、護るというスポーツからも、日々、学ぶことが沢山出てくる。
COJBの中学生年代の話になってしまうけれど、彼らが今後、大人になって行く上で、指導者として見過ごしては、彼らの成長を考えた時に勿体ないなと思う事が、日々ある。
その見過ごせない中学生の言動と行動の中で最近、よーく耳にするのは「俺はやっている」という言葉かな。
ここで「そうお前はやっている、頑張っている、凄い」と、そのメンバーを称え、
「それに引き換えなんでお前たちはやらないんだ!!」としてしまったら、これ、お互い人としての成長はないと思うの。
前述したように、サッカーって仲間と協力してゴールを目指すものだから、仮に、そのメンバーが、いつも、どんな試合、どんな相手でも、1人で解決し、勝利に導いたとしても(実際には100%無理)、サッカー選手としては、今後どうかと思うけれど、人としての成長としてはどうかな?っと???がつく。
仮に出来てない人がいたとしても、その人も人なので、いつも頭ごなしに命令されるような言い方をされれば、内心理解はしていても、やはり同じ中学生、反発心は出て、それを態度に出してしまうのも中学生だよね。大人だっている。
ここで大切なのは、ものの言い方だと思う。サッカーしながらだから、厳しい言葉も掛けなくてはならない時は当然ある、しかし、出来ていない仲間に対して、やる気を出すような声の掛け方も知っておいても先に損はない。ちょっとしたプレーを褒めてやれば、言われている本人も『こいつ、文句だけじゃねぇな』と思うようになり、その言葉を受け入れるようになり、行動を変える可能性もあるものだ。
結局、何が大切かと言うと、同じ瞬間にプレーしている仲間が良い方向、良い雰囲気になって行かなければ意味がないということなんだ。
これは子供の世界に限った事ではないけれど、人がついてくる人、そうでない人の分岐点の1つだと思うの。
サッカーで試合をしている時の相手は、対戦相手であり、仲間ではない。だから、仲間が良い雰囲気にならないと、良い結果はもたらさない。だから「俺はやっている」という言葉はあまりチームにもたらすボディティブな言葉ではない。この言葉は、限定メンバーだけでなく、ところどころでよーく耳にするようになった。
やっていると思っている人も、やってないと思われている人も両方何かを感じて、振り返り、謙虚にならなくてはならないことを学ぶのも、この中学生年代で大人の精神を形成して行くためには大切だと日々思うところ。
サッカーをしながら、日々、良い勉強をして、将来に繋げて貰いたいと思っている。