東方公園の清掃に参加した。5月の芝生サッカークリニック以来の社会活動。
サッカー以外の角度からも中学生という大切な時期に色々なことを学び、視野に入れて大人になって行く基盤作りをして貰いたい、そんな思い。サッカーから物事を学び、違うことから物事を学びサッカーに生かす。
地域清掃1つ取ってみても、そのネタは隠されている
普段、好きなことをやらせて貰っているということに対して感謝の意を込めて世の中に少しでも還元する心を持つこと。しかし、これはなかなか中学生年代で心から思えることは難しいことと思う。
これはこれから長い人生を生きて行く上で、自身がそのように思えるきっかけがあった時でもいい。今、そのことを理解した上でサッカーをして欲しいという要求をしても仕方がないこと。どこかで挫折したり、辛く、寂しい思いをした時、そんな時に目に見えるもの、見えないもの含めて、何かの支えに助けられた時などに感じられることでもあるから、その気持ちは先に芽生えれば良いと思う。
もっと現実的に考え、勉強できることは、例えば地域清掃、掃除用具が限られた数しかない。
1人1用具はない。必ず用具がない者が出てくる
用具がある者はそのまま作業に入れば良いが、ない時にどうするか?
また、その場所に適した用具がない時に、どうしたらよいか?
世間で頻繁に耳にする言葉として「あいつはできるやつ、使えるやつ」「あいつは出来ないやつ、使えないやつ」がある。
折角なので、スポーツで心技体を養えるのだから、前者になって欲しいよね。
後者の共通点は
自らやること、やるべきことを探さない。いつも人の指示を待っている。
また、指示されても、動きが鈍い。言い換えれば、指示されて動くから動きが鈍くなってしまう。これは子供に限った話ではなく正に社会に入れば、その差は必ず出てくる。社会の荒波に入って行くのだから、中学生で少しはそのような場面に遭遇するような環境に触れるのも悪くはないと思う。学校で職業体験とかもやるようにね。
最小学年で6年生が参加しているが、このような年代で、このような活動、体験をして置くことは決して無駄ではない。
教育の分野が大きく分けていくつかある中で、
学校教育が教員の役目であるならば、社会教育という観点で見れば触れ合う人達みんなが先生になる。例えば、芝生クリニックでは、大人のスタッフが先生になる。
参加者の面倒をしっかり見ていると、「動きがいいね!!」と褒めて下さる。
逆に手伝いもしないで、自分達だけで固まって喋っていたり、ボールを蹴っているだけの場合は「それでは社会勉強にならないでしょ?」本音を言って下さる。
大切な環境だと思う。
同年代とばかり接していても限界がある。年上から学ぶことは大きい。
スマホ、タブレットがあれば一人でいても寂しくない。こんな世の中になってしまっている。人と接してなくても不安にならない。便利にはなっているけれど、
人と人とのつながりは欠如しているように思うし、感情もどうなのかな?って最近思う。中学生はもっと他人と沢山接することだと思う。言葉を発する機会を作る必要がある。集団、グループで何か活動をしたときに、リーダーシップも生まれる。
人の良さ、自分の長所も発見できる。
メンバーの中には掃除を楽しんでいる者もいた。良いことだと思う。
なんでも前向きに取り組む、一生懸命やる。サッカーの技術こそ、正直、社会にはあまり役に立たないが、このようなハートはどこの社会に行っても通用するものだよね。トップチームを立ち上げた時、Jrユースを設立した時は「とにかくプロを育てること」として突っ走って来たけれど、どうやらそれだけでは物足りなくなってしまったんだな。大半はプロ選手ではなく、社会に出て、勤めたり、起業したりしているが、精神はずっとついて回るものだし、また、その精神を後進に伝えられる。
本来のスポーツが伝えられる根本って一体なんなのか?を突き詰めた時に、試合に勝つ、プロを育てることに躍起になってはいるものの、そうでない人は何が残って行くの?としたとき、やはりハートだと思う。このハートを養えたら、本来、スポーツが果たす役割はやはり大きいと思う。貫きたいね、最後まで。
時代の流れに逆らっているように思われるかもしれないけれど、突き進みたいね。
サッカーを通じて。